言葉の不思議な『縁』を思う

言葉の不思議な『縁』を思う

言葉の不思議な『縁』を思う

アルファベット文字に付けられた名前について、その歴史的な背景などを簡単に紹介してきました。そして、名付けの際の「疑問」についても、少し触れました。ところで、もっと根源的な疑問もあります。

「なぜ、昔の人は、牡牛をアリフ、らくだをガマルと呼んだのか?」しかも、この疑問は、それぞれの言語の数だけ問われなくてはなりません。日本では、「なぜ、牛は『ウシ』、馬は『ウマ』というのか?」となります。

古い言語ほど、根源言語に近いほど、この疑問は「重要なテーマ」を帯びてきます。すなわち、最初に「あるモノ」に与えられた「名前」とは、「そのモノ」を識別(認識)するための「音」であったのでしょうから、これは「モノとオトの関係」ということです。

人類に「モノゴコロ」が付いたときとは、どんな感じだったのか、それはなんともわかりませんが、最初に「モノ」に名前を付ける際には、そのための参考になる外国語も資料も何もないわけですから、かなり感覚的・自己中心的な名付け方をしたのではないかと思われます。

牛が「モォー」と鳴いているのを皆が聞いたのであれば、「モォー」と鳴くのは「牛」だと認識できる。だから、「牛」を「モォー」と呼ぶことにしよう、といった具合にです。ちょうど、子供が何かモノを見て、それを感覚的な音にして呼ぶようなものです。

しかし、ある「名前」を、多くの人の共通認識として(あるモノを指す時の約束事として)、使えるようになるまでには、かなりの変遷があったことが考えられます。

今、私たちが何気なく話している言葉も、大昔の祖先たちによる、きまぐれでいて、ちょっとした偶然にもよる、そうした「感覚的な言葉」が積み重ねられたものなのです。そうしたことを考えていると、今話している「言葉」、それに一つ一つの「単語」にも、大きな「縁」というものが感じられてくるのです。

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